2009.12.28-29.
富山へ行ってきました。
共同研究の関係で,富山大学産婦人科学 齋藤滋教授にご意見を伺いに行ってきました。
非常にご親切にご丁寧にお考え頂いて,とっても参考になりました。
一部,実験というか,お願いするようなことが生じるかも知れませんが,何卒よろしくお願いいたします。

さて,29日の早朝には,富山の町を散策しました・・・っていうか,今年は10/5-6と富山に来ていましたので,今回は,駅の北側・・・富岩運河環水公園です。

しかし,実はまだ朝が明け切らないうちでしたので・・・
この日の日の出は 7:02 AMのようですが・・・。まだ暗い・・・
スタバだけが準備を始められているのでしょうね・・・明るく輝いています・・。
しかし,この明ける直前は当然,刻々と明るさは変化していくので・・・
東の空は,だいぶ・・・青みが射してきました。
そして,なごり雪なども,はっきりと見えてきました。
【「富山県富岩運河環水公園(ふがんうんが かんすいこうえん)」は、とやま都市MIRAI計画のシンボルゾーンとして水辺空間の豊かさを大切にしながら整備される面積9.7haの親水文化公園です。富山の自然と富岩運河の歴史を活かしたこの空間は、地域の文化や未来を見つめ、創造するオアシスとなります。水に親しむ場として旧舟だまりを利用した水辺空間を中心に、両岸には遊歩道や芝生のスロープを配置し、憩いと親水の公園機能を演出し、また泉と滝の広場とあわせて、景観的にも都市のシンボルとなる施設をめざしています。】
ということですが・・・。
だいぶ,明るくなってきました。
そして,公園の処から・・運河に沿って・・・中島閘門って辺りまで歩いてみることにしました。
水鳥たちも居ます・・・
こんな風に,沢山,案内板もありました・・・。サンダーバードの発車の時間までに,運河の閘門まで行けるんではないでしょうか???
   
そして,可也明けてきました・・・。
北陸の冷たい朝ですが,雲を抜けて,朝陽が射してきています。
【富岩運河の歴史:富山市東岩瀬港と富山市街地の間に水運を開き、臨海工業地帯を形成する目的で開削された「富岩運河」と、その開削土砂を利用して神通川廃川敷を埋め立てた都心土地区画整理は、昭和初期における一大土木事業でした。東岩瀬港南端より神通川右岸を沿うようにして富山駅北側の舟だまりに達する富岩運河は、200トン級の船舶の遡航を可能にしました。2.5mの水位差を調節するための水量調節用の堰を有した中島閘門(パナマ運河方式)は、当時の最新技術を採用したものです。】
ということです。
今見ているのは,その運河の処ですよね・・・。
向こう岸に見えるのは,何かしら??建物? 
最初の環水公園から閘門までには・・4つの橋とたぶん水道管かなんかの橋とを越えて行きます・・・
近くの工場には,雪かきした後,集められた雪が山積みでした・・・。
さて,閘門の処に来ました。
まず,こちらの東側の岸沿いには,放流の扉があります。
この落差・・水面の高さの差が・・運河ってことですよね!
【明治16年、洪水問題をきっかけに石川県から分離して富山県が誕生しました。→ 富山市も洪水に悩まされていました。当時の神通川の河道は右図のように東に大きく曲折して洪水の原因となっていました。→ 明治34年からの神通川の2次改修では、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの提案を受け馳越(はせこし)工法(幅2m、深さ1.5mの細い水路を作り、洪水の力で土砂を削り新しい河道を造るもの)により直線の放水路を建設しました。→ この工事の結果、大正11年頃に馳越水路が本流になりました。(現在の河道)→ しかし、旧河道が富山市街地を分断する形で残り、都市の発展に大きな障害となりました。】
というのが,まずは,歴史の前半です。
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さて閘門に着きました。
渡っていく石橋も・・・相当振るそうですが・・・。
説明板もありました。パナマ運河と同じ形式だそうです。

【このため県は、昭和3年に画期的な都市計画決定をしました。→ 
1.富岩運河を新設し、沿川に工場を誘致。
2.運河を掘った土砂で神通川の跡地を埋め立てて、新市街地を整備。
3.残る土砂で東岩瀬港の岸壁、埠頭用地を整備。
富岩運河は昭和5年に着工し10年に完成。その後、富山の工業化に大きく寄与しました。→ しかし、時代が変わり物流が、船運からトラック輸送に変わり水も汚れ、一時は埋立てて、道路にする計画を立てていました。→ 昭和50年代後半に県はまちなかの貴重な水面として活用する方針へ大転換しました。→ 昭和60年に建設省の「新都市拠点整備事業」の制度ができ、富山市も「とやま都市MIRAI地区」として富山駅北62haを再整備することとし、富岩運河も都市の貴重な水辺空間として生まれ変わることになり、現在の形となりました。】

ということです。
猫ってバンド・・・70-80年代・・・ですが,の2枚目のアルバムに「運河のある町」っていう歌がありますが,とっても好きでした。
こういう運河沿いを歩くと,おつもその歌を思い出します。
浮き桟橋もいい感じです,そして,だいぶ,明るくなってきましたよね。
公園になっているので,岸々には,いろいろな趣向が見られます・・・。
中島閘門までは,東岸を歩いてので,今は・・・西の岸です・・・さっき見えた何かって・・・子供の遊び場だったのですね・・
   
そろそろ,明けてきましたよ!
29日ですので,もう年末年始・・・多くの企業さんは,28日からもうお休みみたいですので・・・人も少なく・・でも,もう犬の散歩などの人ともすれ違いました。
鳥たちも・・・朝を迎えています。
ここってでも,休日とか,子供連れでも楽しめますよね・・・。歩くだけでも素適だと思います。
光と闇が微妙に変化していましたが,そろそろ朝だなぁって感じです。
別の説明によりますと・・・・
【江戸時代、現在の富山港には他の地方からの船舶が多く停泊していて岩瀬地区では古くから商業が盛んであった。しかし、岩瀬地区から富山城のある富山市中心部までは遠くて不便であった。さらに明治時代に入ると資材の運搬が盛んになり、岩瀬地区と富山市中心部を結ぶ水運が不可欠となった。1928年、当時内務省の技師であった赤司貫一(1890年 - 1954年)が立案した計画をもとに富山の都市計画事業が決定する。赤司が立案した計画は、当時はばらばらに整備するのが一般的だった運河、区画整理、街路や公園の整備を同時に行う画期的な計画だった。この計画に当時の内務省幹部は「日本初の試みだ。」と賞賛した。1930年に工事は着工した。この工事ではエキスカベーカという掘削機が使用されていた。そして、1934年に、整備は完成した。この工事で削り取られた130万m3の土砂は富山市市街地で曲がっていた神通川の馳越(はせこし)工事による廃川地の埋め立て工事と富山港修築工事に利用された。】
です。
ひとつひとつのモニュメントがいい感じです。
そして,住宅越しに朝陽が射してきました・・・!
      
冬は・・なんだか,待ち望んだ朝陽って感じですね。
そろそろ,環水公園の辺りに戻ってきました。
光の差し込む空や水の色の変化は・・・拙い大槻の腕前ではお届け出来ないのが,残念です・・・。
さて,こちらには,もう一つ閘門・・があります。
牛島閘門です。
 案内板で良くわかります。勉強!勉強.... 
公園中央の橋は,天門橋だそうです・・・少し濡れていて,登るのに滑りそうでした。
運河に続いての公園・・・単なる道路とかにせずに,やはり,この広さは,市民にとっての憩いだと思います。
【天門橋は、泉と滝の広場とならんで富岩運河環水公園のシンボル施設です。両端のエレベーターを備えた展望塔からは、環水公園全体が一望でき、立山連峰の眺めは最高のすばらしさです。また、展望塔内のギャラリーで、富岩運河の歴史や環水公園の概要などを写真や図面で説明したパネルを展示しています。橋面は、タイル張りと硬質な木張り仕様で、タイル部分には無散水消雪装置が敷設され、冬季降雪時でも利用ができるように配慮されており、木材を使用しているのはこの場所が貯木場であったことにも由来しています。また、橋長は58mで、両側の鋼トラス橋(サイドブリッジ)が中央部の鋼単純非合成箱桁橋(センターブリッジ)にヒンジ結合で支えられているというユニークな構造になっています。】
朝が早すぎて,中には入っていないのですが・・・。
【天門橋の両展望塔間には長さ58mの「運命の赤い糸」ならぬ、「赤い糸電話」があり、愛の告白スポットとなっています。】
ですって!
それは,素晴らしい!
遠く・・・方角的には,五箇山などの石川県との県境近くの山々だと思いますが,冠雪しているのが見えています。
いやぁ・・・いい場所でした。し,結構,よく歩きました。宿を出てからだと,4km以上は歩いているかも?
最初は真っ暗だったのですが・・。ツリーも見えてきました。
この辺りも,県の体育館・アリーナとか,とやま自遊館とか・・・ホテル,結婚式場とかみたいですが,県の施設でしょうね。
僕らの頃・・富山と云えばチューリップだったですけれど・・・モニュメントがチューリップです。
  
この球も不思議・・・。・確かに音がしました。
さて,富山駅の北口の方に,向かいましょう。
北国の信号は,縦並びです・・・
そして,このトラムはなかなか新しい感覚の車両で,素適ですね・・もう,飾り付けはお正月ですけれど・・・。

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28日の夜は,お店はどこも一杯! 御用納めの飲み会なども多かったようです。
数軒尋ねて,漸くありつけました。

白エビ・・・ほたるいか・・・そして,めんたいさんま・・も,あじのたたきも,とっても美味でした。


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さて,車窓の風景です。中庄から普通で岡山→そして,のぞみで新大阪→サンダーバードで富山・終着でした。

岡山理大 旭川 吉井川 武庫川 新大阪駅でサンダーバードに乗り込みますが,帰省の家族連れなども多いです。
琵琶湖です・・・単純に,嬉しくって沢山撮ります。ただ,この観覧車は・・・。
【1965年、国道161号(現在は滋賀県道558号)と国道477号・琵琶湖大橋が交わる立地に、ドライブインとして開業した。ドライブインの目玉は展望室が回転しながら昇降する「びわ湖タワー」で、琵琶湖や比良山地を一望できる高さ63.5mのタワーであった。当初はこのタワーとレストランしかなかったが、徐々に拡張されて遊園地となった。駐車料金や入園料は無料であった。1992年、びわ湖タワーに代わる目玉として、世界一の高さ(完成当時)を誇る108mの大観覧車「イーゴス108」が建設された。「イーゴス108」は一般公募で決められた名前で、「イーゴス」とは「すごーい」を逆から読んだものである。琵琶湖畔に佇む巨大観覧車は滋賀県有数のランドマークとして親しまれた。遊園地の主役を譲ったびわ湖タワーはバンジージャンプ台に改造されたが、遊園地の名前としてはそのまま残された。敷地内には哀愁あるレトロなアトラクションが並んでいたほか、温泉や結婚式場も併設されていた。また京都市電全廃後には車両(1800形)を3両引き取って保存していた(ただし保存状態が悪く、廃業時に全て解体されている)。入口にあった謎のロボット像や、関西一円に放映されていた「びわ湖タワーへ行こう!」のローカルCMでも知られた。滋賀県内最大の遊園地であり県内外から多くの来場客を集めたが、1992年頃をピークに客足が減少し、2001年8月31日に業績不振で廃業した。びわ湖タワーの閉園により、大津市内・滋賀県内の遊園地は小規模なものを除き全て姿を消すこととなった。閉園後の跡地利用は当初、場外馬券発売所が計画されていたが、地元住民の反発により実現せず、イズミヤスーパーセンター堅田店とヤマダ電機テックランド大津堅田店が建設された。イーゴス108は閉園後も解体されずに残っており、2007年4月には「2008年春に運転再開」との報道があったが、2009年現在でも再開の目処は立っていない。】
という,各地にある地方自治の問題点浮き彫りのシンボルですね。
湖北〜西の辺りが雨の様で・・・湖面に虹が・・・かかっていました。
over the rainbow って感じで,列車は進みます。
良い感じの天候です。
向こうは近江八幡の辺りでしょうか・・・・?
だいぶ,北に来ましたか?
近江今津の辺りには,湖岸に沼がいくつかあります。そして再び,虹まで!
   
そして,琵琶湖畔を堪能して・・・敦賀から・・・北陸トンネルを抜けると・・・今庄って辺りですが・・・。
雪景色でした。
足羽川を越えて福井駅・・・
遠くの山の冠雪がかすんでいます・・・。次の川は・・・九頭竜川でしょうか?
  
その後,芦原温泉,加賀温泉,小松,金沢と停車していって・・・倶利伽羅峠を隧道で抜けると・・また,雪景色です。

小矢部側
ずっと・・・雪景色が続きますね・・・。高岡に停車して・・・。


庄川
そして,神通川を渡ると,富山でした。

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翌29日,また,サンダーバードで帰りますってホームに着いたら・・・丁度,トワイライトエキスプレスが出発の時でした。,
富山駅は,地方鉄道も含めると乗り換え先は多いですね・・・。サンダーバードが来ました。
さて,神通川を越えて・・・日当たりのよい処は,雪も解けていますが・・・
庄川を越えて,高岡・・・能登半島の付け根の山々を見ながら・・・西に向かいます。
この辺りは,雪景色が残っていますね・・。
そして,小矢部川を越えて,小矢部市のいするぎ(石動)駅を越えて行きます。
   
そして倶利伽羅トンネルを超えると・・・加賀平野は,河北潟の内陸の辺りは,結構,雄大な景色ですね・・。
そこを見ながら・・・たぶん,津幡川や,金沢市の中の前田川などを越えて行きました。
加賀平野を突き抜けて・・・結構,海岸線に近い,松林の見える辺りは,美川・・小舞子・・で,手取川を越えます。そして,梯川も越えます。
そして,車窓の東側は・・白山でしょうか???あるいは
大聖寺の加賀大観音、ユートピア観音、加賀子育て観音などと呼ばれるが、正式には、慈母観世音菩薩 が垣間見れました。そして,大聖寺川を越えて・・行きます。
この辺りから,越前海岸の国見岳などのある山地も車窓に入ってきますし・・・岐阜県と福井県の県境の山も冠雪してきれいに映っています。
地図と見比べての,なかなか,山の名前はわからないのですが・・。冨士写ヶ岳とかでしょうか?
いや,火燈山,丈競山,そして,浄法寺山・・の連なりのようですね・・。九頭竜川を超えました。
福井駅に停車の後・・もう次は京都です・・・。足羽川を越えて,南へ向かいます。
鯖江から武生にかけて,やはり九頭竜川の支流の鞍谷川・日野川を越えます。
そして,越前市〜南越前町の辺りは,やはり一面の雪です。
帰路は敦賀も吹っ飛ばして・・・深坂トンネルも長いですが・・超えると琵琶湖の最北端がが見えます。
竹生島も見えて・・・・・,滋賀と福井の県境の山にも冠雪ですね・・・
行きも帰りも・・・・・琵琶湖が見えると,なんか,沢山写真を撮ってしまいます。
琵琶湖の辺りが。。。往路の方が天気が良かったですか?
 遠くに琵琶湖大橋と観覧車が見えますか・・ 
  

お疲れ様でした。

今年最後の出張でした。